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2012年 06月 05日
たんぽぽ隊通信 第923号
断捨離である。 思い立ったが吉日。 きっかけは、いろいろあった。 元夫が置いたままの荷物を整理するにあたり、 あちこちの引き出しや天袋を探ったら、実にいろんなモノが出てきた。 黄ばんだ箱のフタを開けると、そこにはン十年前の結婚式の芳名帳。 祝していただいた方々には誠に申し訳ないが、きっぱり捨てた。 一つ捨て始めると いくらでも次々と捨てられる。 「捨てる」とは真のゼイタクな行為だ。 狭い我が家に 新しいゆとりが生まれる。 その快感を覚えた私は、これまで不可侵領域としてきた 息子の部屋に、どうしてもメスを入れたくなった。 子ども部屋を私が掃除したのは、息子の少学校卒業まで。 わが子の自立を願って、以後は一切手を出さないできた。 あれから8年。 その間、息子が自主的に部屋を片付けたことは、ただの一度もなく、 机、本棚はもちろん、床やベッドも物置きと化した今となっては、 リビングにまで汚染領域が広がろうとしている。 なるほどこうして、ゴミ屋敷は出来上がっていくのだなあ、 などと感心している場合ではない。 オマエハ イッタイ イツ ココヲ カタヅケルノカ。 「後日」 後日っていつ?! 何月何日何時何分?! 小学生のようにキレた私は、「待つ子育て(=放任)」という、 一貫した教育方針を転換し、息子の汚部屋に突入したのである。 本棚に突っ込まれた中学時代からの教科書、テストを抜き出し、 ページをめくった形跡のない大量の受験用問題集や 同じ号のコミックを2冊買ったりしているのを見るにつけ、 私の怒りはいやが上にも増していく。 しかし、わが息子は、「あっそれもこれも捨てていいよ」と みるみる部屋が片付くのを、ただ嬉々として眺むる体たらく。 45リットルのゴミ袋がいくつも積み上がっていくが、 それでも時折、仕分けの手を鈍らせるものがある。 いわゆる文集だとか、保育園時代の連絡帳だとかの「思い出」系ね。 いちばん処分に困ったのは、中学時代に描いたという水彩画で 手彫りの額縁付きという複合課題の作品だった。 どう親の欲目で見ても 絵心のカケラもないその作品は あまりにも堂々として 捨てるにしのびなく、 思い切って ワタクシは玄関に飾ってみることにした。 しかし、ふと裏をひっくり返すと 「この作品は フリードリヒの『孤独な木』である」という一文が。 ?? これ、模写なの? 「うん」 てか、ホントにこんな色? 「でへへ」 ・・・・ワタクシ、無言でパソコンに向かい、早速件の絵を探してみた。 そして見つけたのが、実に深い色合いの 巨匠の作品であった。 断捨離は まだまだ続く。
by tampopotai
| 2012-06-05 12:00
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