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2013年 03月 05日
たんぽぽ隊通信 第957号
ちょっと前に ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』(新潮クレスト・ブックス) という本を読んだ。 一言でいうと、老境に達した60代の孤独な男の物語。 かなりミステリアスで衝撃的な展開が待ちうけている小説なので あえてここではストーリーに触れませんが、 (本の感想は、別ブログでどうぞ→コチラ) それを置いても、実にいろいろ考えさせられる本だったのですよ。 私たちは、日々記憶を積み重ねながら年をとっていく。 記憶力にはキャパがあり、全てを頭に刻みつけておくことはできない。 主人公のトニーは言うのです。 人生の証人がしだいに減っていき、記憶の補強がおぼつかなくなり、 自分が何者であり、何者であったかがしだいに不確かになっていく。 それってあるよなあ。自分が覚えていることのあれこれは、 どこか間違ってないか。ホントにあったことなのか。 瑣末な例を挙げれば、昔の友人と思い出語りをすると 「あのときAちゃんとBくんが付き合っててさー」 「えー。AちゃんはCくんと付き合ってたんだよー」 「うっそー。Cくんの彼女はDちゃんじゃん」みたいなコトって、よくあるでしょ? 知人のQ氏は、身に覚えのない過去の不倫話の当事者にされたことがあり、 必死で否定したけれど、思い違いをしてる相手が高齢化しているため すぐまた忘れ、同じ話を言い広めはしないかという危惧を抱いている。 まぁ実際の当事者でさえ、そのうち自分や家族の存在さえ覚束なくなれば 恋の相手を、手の届かなかった高嶺の花に置き換えてしまうこともあるだろう。 私にかぎっていえば、食べたものと下世話な噂話については 詳細まで覚えている自信があるのだが、ときどき思いがけず 「いやーあのときキミに言われて、決心がついたよ」 てなことを打ち明けられたりすると、すぅっと血の気が引く。 ぜんっぜん覚えてないですケド? いったいなぜ私は、他人の生き方に影響を与えてしまうような言葉を 軽々しく口にしてしまうのだろうか。なぜ、それを忘れるのだろうか。 ていうか、それを言ったの、ホントにアタシ?? 過去の話だけではない。いま現在、同じものを見ていても 人はそれぞれに違うモノを感じ、理解している。 事件の加害者と被害者のように対立する立場なら、なおさらだ。 世の中は、そんなふうに曖昧で不確かな人の記憶が渦巻いている。 自分に都合の良いところをかいつまんで心に残し、 都合のよろしくないところをキレイさっぱり忘れていく。 嬉しいことも哀しいことも、加工して編集して、 だからこそ長生きする人間は穏やかに生きていけるのかもしれない。 結局、私の人生は私が自分のために構築してきた記憶の塊なのだ。 キャパの写真はキャパのパートナーが撮った写真なのかもしれない。 アポロは月に行ったのかもしれないし行かなかったのかもしれない。 ・・・・・ そんなことをつらつら考えてたとき、「おおやちきの世界展」に行きました。 おおやちき先生は、70年代に少女誌『りぼん』をメインに活躍された漫画家で その後はイラストレーターとして80年代の『ぴあ』にも毎号緻密なパズル画を載せ、 近年は『アルジャーノンに花束を』の表紙絵など、ブックカバーイラストにも 多数の力作を描かれている、天才的な方です。 いやー睫毛の一本一本にいたるまで精密に繊細に描かれた美しい画風は 今なおまったく色あせず、古さを感じさせず、唸るしかなかったのだけれど。 愕然としたのは、70年代に発売されてた少女漫画雑誌の名をほとんど忘れ なおかつ、その表紙絵やロゴが吃驚するほど古かったこと。 これまで思い起こしたこともなかった漫画家の作品も多数並んでいて。 40年という時間は、もう少し距離が近いと感じていたのだけれど いつの間にか記憶からこぼれ落ちた「昭和」がそこにはあった。 思えば平成生まれの息子が成人してるんだもんなあ。 私はトシをとったんだ・・・と、しみじみ感じる一夜でありました。 昭和は遠くなりにけり。 3/3まで江東区森下文化センターで 開催してました。
by tampopotai
| 2013-03-05 12:00
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