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2013年 12月 24日
たんぽぽ隊通信 第996号
好きな先生のイメージといえば、若くて、かっこよくて、 明朗快活熱血系スポーツマンというのがまず浮かぶ。 学園ドラマの典型的パターンね。 中学のときのT木先生だ。2組の担任だった。 もう一つのイメージは忌野清志郎の「ぼく好きな先生」。 “たばこを吸いながら いつでもつまらなそうに たばこを吸いながら いつでも部屋に一人”タイプ。 大好きなまんが「おしゃべり階段」(くらもちふさこ)の 理科の立川先生がまさにこれで 中学のときの1組担任A沢先生がどんぴしゃこのタイプ。 もう一人、3組担任、国語のM田先生がいたのだけれど、 この人は決して好かれるタイプではなかった。 せいぜい40代前半なのにすでに前髪が後退し 下腹がぽっちゃりとした外見はなんとなくかっこよくない。 性格は気分屋で、口を開けば命令口調。親しみがわくタイプでもない。 修学旅行の旅館で酔っぱらって廊下で騒いでたよね、 と卒業から40年たった今でも眉をひそめる人は多い。 先日プチクラス会に参加していたMくんと そんなM田先生の話をする機会があった。 読書感想文を書かせることが好きだったM田先生に Mくんは「正しい読書感想文」を押し付けられたような気がしたそうだ。 先生のほめる感想が自分の感想と隔たりがあると、 言葉にしたことで気持ちが自由を失っていくような恐怖感さえあったという。 そうだったのかぁ、純粋でまじめな生徒だったんだね。 私はもっとずるかった。 M田先生がどんな感想文を喜ぶかがわかっていたから そういう作文をせっせと書いて提出した記憶がある。 「戦争はいけないと思いました」 「ほんとうに美しいのは心のきれいな人だと教えられました」 「友だちの信頼に応えたメロスはやっぱり素晴らしいです」…etc. M田先生はヘルマン・ヘッセの「車輪の下」が大大大大おすすめで、 3年の間に全員に読ませて、感想文を書かせたんじゃないかな。 私は読み始めたものの、あまりおもしろくなかったので 読まずに書いちゃったっけ、感想文。 それでも、ほめられて、舌を出していたんだよね、あの頃は。 私ったら嫌な子。 でもでも、後になって思う。 本を読む。自分で選んで本を読む。 その楽しさを教えてくれたのはM田先生だったかもしれない、と。 先生のすすめる本に反発しながら、 もっとおもしろい本を探してやる、読んでやると思って 図書室の棚を一生懸命探した。 北杜夫のどくとるまんぼうシリーズに出会ったり、 岩波文庫の「ダルタニアン物語」に夢中になったり。 そして、今では毎月1回の読書会に参加して29年目! 「最近おもしろい本読んだ?」という会話を毎回している。 昔と違って、ネット上で本の情報はあふれているけれど、 信頼できる本読みからの情報は別格だからね。 さらに、今になって思うこと。 M田先生はほんとはわかっていたんじゃないだろうか、 私がずるい感想文を書いていたことを。 それでも、叱るのではなく、ほめてくれたから 私は本好き、感想文好きに育った。 この子は適当におだてておけば伸びていく子、 と思ってやってたんじゃないかな。 私ったらM田先生の思うつぼにはまったのかも。 Mくんは、ずるや妥協をしない子。 たとえつまずくことがあっても、 自分の中でしっかり事態をみつめ、咀嚼して、 自分なりの答えをみつけていくタイプ。 彼に簡単に表現することの恐怖を教え、 納得のいくものだけを、 きちんと表現する大人に育てようとした。ということも考えられる。 そうだとしたら、すごいじゃん、M田先生。 Mくんも私も、先生から何かをいただいて、 大人になったということにしておこう。 ぼくの好きな先生♪と口ずさみながら、 やっぱりそういうタイプじゃないけど、 M田先生はお元気だろうかと思ったりする歳の暮れです。
by tampopotai
| 2013-12-24 12:00
| おおもりさらだ
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Comments(2)
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きせき
at 2013-12-26 18:58
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「車輪の下」も「走れメロス」も読んだはずだけれどほとんど覚えていない。
でも中山手線君や須恵麻子やラララの倫子さんは覚えてる。 曾根綾子さんは「自分の卑劣さを噛みしめるのも、生きる証である」と仰っているし、ヘッセや太宰は苦味がわかる大人になって気が付く道標だったのか…。 なんて言っちゃあ文豪に失礼か(^^;
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Commented
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tampopotai at 2013-12-27 14:28
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