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2014年 09月 30日
たんぽぽ隊通信 第1030号
読売ジャイアンツがセリーグ優勝を決めた。 今ではすっかりプロ野球情報に疎いんだけど、 10代後半から20代にかけて、 けっこう熱血野球女子だったの、わたし。 画像はカープ初優勝の瞬間 (セピア色!) 好きなチームは広島カープ。 いばっちゃうけど、元祖カープ女子。ふっふふん(荒い鼻息)。 なぜ、カープファンになったかと振り返れば 大変昔なので、もはや誰も知らないかもしれないけれど 日本のプロ野球で初めての外人監督は広島のルーツ監督である。 それまで3年連続最下位だったカープの監督に就任するや 負け犬根性を一掃するべく、ヘルメットを赤くした。 大事なのは意識を変えることだ、と。 「赤ヘル」が何かやってくれそうだという期待感は、 その年浪人生活を送ることが決まったわたしの 「後がない。がんばるしかない」という気持ちとリンクして よし、応援するべ、広島カープと思ったのだった。 広島県とは縁もゆかりもないんだけどね。 もう一つの理由は、その前の年、甲子園に出場した 高橋慶彦選手がドラフト4位くらいでカープに入団したこと。 テレビで見て、1回戦で敗退したけど印象に残った選手だった。 高校時代は投手だったが、足の速さを買われて指名された。 有名選手だったわけじゃない。 3年連続最下位チームの4位指名はそれを物語っている。 それでも、才能を買われて新天地に飛び込むタカハシは、 ぴかぴか輝いていた。 同じ年齢なのに、くすぶっているわたしには特にそう見えた。 そのように期待されて始まったシーズンだったが ルーツ監督ったら審判とぶつかり、 説得にあたった球団代表とぶつかり、 たったの15試合で辞任、とっととアメリカに帰ってしまった。 ところが、ここから赤ヘルの快進撃が始まる。 後任の古葉竹識監督の元、 チームがまとまり外人選手も活躍し、 あれよあれよとリーグ優勝を手にしたのであった。 しかもこの年、監督デビューの長島監督率いる スターチームのジャイアンツは最下位に沈み、 後楽園球場でカープの優勝を見せつけられるという まんがのような展開だったセリーグ。 熱くもなるでしょ、これは。 わたしだってがんばれば栄光を手にすることが できるかも…なんて勇気もらって。 カープのおかげで、浪人生活を乗り切ることができたと思う。 タカハシ選手はその数年後、スイッチヒッターとして レギュラーの位置を固め、盗塁王に輝くなど、 選手として華やかな成績を残し、 カープの一時代を担う選手となった。 神宮球場の3塁側で応援した勇姿は忘れられない。 彼をモデルにした村上龍さんの小説 「走れ、タカハシ」も大好きだったなぁ。 そして、21世紀も8分の1を過ぎた今、 カープ女子という言葉が生まれ、 広島球場はもとより、東京ドームや神宮球場にも 女子たちの熱い応援の波が押し寄せているという。 なんだかうれしい。 おばちゃんは、すっかり遠くへ来てしまったけれど、 青春のカープ、青春のタカハシは心の中で キラキラ光り続ける永遠の星だよ。 たくさんの女子たちにそういう星をみつけてほしいと思う。 野球でもサッカーでもタレントでも歌手でも何でもいいから その存在のおかげで元気が出る、そういうものをみつけてほしい。 弱いときには苦しみ、悲しみも多いけど、 曲がり角をまがると一番いいことが待っているかもしれない (by 花子とアン)、と思って今日もJEFを応援している。
by tampopotai
| 2014-09-30 12:10
| おおもりさらだ
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