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2016年 01月 30日
たんぽぽ隊通信 第1090号
世間の目から見れば 80代の親を亡くすのはありきたりのことで 毎年のように届く喪中はがきを見ても、それはそう。 それでも我が事となると たとえいくつであっても 父親と呼べるひとは そのひとだけで つながりが絶えると思うと 胸の奥がきゅっと縮む。 二度と目を開けることなく しんと眠る姿は 「無」でしかないことが じわじわ広がってきて 無常とか 無情とか 無念とか そうなんだ もう、何もないんだと 体じゅうの力が抜ける思いがしました。 愛情とか哀しみとか きっちり名前がつくようなものは この年になれば 心のうちでの区切りはむずかしく 泣くとか喚くとか 感情の発露で散らせるわけでもなく。 ただもう、父はいなくなってしまった。 用意のいい父は、万一に備えての手紙を用意していて そこにはとても実際的なことが つらつらと書かれていました。 身内だけの小さなお葬式を望んでいたので、 その思いのとおり 慣れぬ手配に追われていたのだけれど、 長く住み慣れた土地には、父を悼んでくださる方もいて そのお気持ちを無下にすることも むずかしくはありました。 逝く者の思いとともに 遺される者の思いの 折り合いをどうにかつけることが 葬儀という形なのでしょう。 旅立つ父は、納棺師さんの手でお気に入りの洋服に着替えさせてもらい、 靴を履き、帽子もかぶって なかなかダンディに支度を整えました。 本当は ほんとうは もっと元気になるつもりだったんだろう。 家族や 住み慣れた家や 生母の写真とともに こんなに慌ただしく見送られるとは思ってなかったんだろう。 長く離れて暮らしてきた娘としては 無念が募るけれど 後片付けに追われてバタバタする日々の中で 毎夜の夢に 父が現れます。 たぶん 言ったとおり、きちんとやってるかどうか チェックを入れにきているんでしょう。 もちろん今となっては、できなかった親孝行は そういう形で返すしかないと思うから、 がんばってやりますよ、とーちゃん。 だから心配しないでね。
by tampopotai
| 2016-01-30 00:42
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